公開講演会、映画上映会「講演「台湾語映画と林摶秋」と台湾語映画『五月十三傷心夜』鑑賞の夕べ」
INFORMATION
台湾の映画史は日本統治時代と1945年以降に分けて把握される。1945年以降、台湾の公立映画製作所が制作する映画はドキュメンタリー映画とプロパガンダ映画に偏重していた。台湾語による映画は1956年の歌仔戯「薛平貴與王寶釧」のヒットを嚆矢とし、民間の映画撮影所におけるドラマ映画の制作ブームをもたらした。1970年になって急速に衰退するが、この間制作された映画は1000本を超える。林摶秋(1920-98年)は、戦前明治大学で学び、卒業後、ムーラン・ルージュ新宿座の文芸部に籍を置き、また東宝映画に駆り出され、マキノ正博監督作品などの助監督を務め、台湾に戻ってからは演劇、映画の分野で活躍した。
今回は石婉舜氏に台湾映画史における台湾語映画の紹介と林摶秋監督の位置づけについてお話し頂き、その後、林摶秋監督作品の1つである『五月十三傷心夜』(1965年、97分、英語字幕付き)を鑑賞する。台湾語映画の紹介と上映の機会は多くはなく、本学の学生・教員だけでなく、一般参加者の関心にも応えるものだと考える。
講師
台湾・国立清華大学台湾文学研究所副教授(准教授)、2024年度本学招聘研究員
石 婉舜(シィ・ワンシュン) 氏
台湾・国立台北芸術大学で戯劇学(演劇学)の博士号を取得。現在台湾・国立清華大学台湾文学研究所(研究所=大学院)副教授(准教授)。日本統治時代の台湾娯楽市場研究を牽引する研究者のひとりで、当時の台湾で上演されていた日本、台湾の芸態(映画・演劇・布袋戯—指遣い人形劇など)及び劇場(成果の1つに「台灣老戯園文史地圖」)等に関する研究業績は高い評価を受けている。主編を務めた『林摶秋全集』(全12巻—映画・演劇脚本、書簡等+DVD4本の復刻、書林出版有限公司、23年12月刊行)は、忘れられた存在であった林摶秋(脚本家。演出家、映画監督。日本のムーラン・ルージュ新宿座文芸部に在籍し、映画製作も経験、後に台湾の大衆的な映画・演劇に大きな足跡を残した)の再発見とその仕事の再評価を促し、台湾現代演劇・映画研究の深化と発展に大きな貢献を果たすものとして高く評価されている。
「台灣老戯園文史地圖」はこちら
通訳者
本学兼任講師、アジア地域研究所特任研究員、早稲田大学演劇博物館招聘研究員
鈴木 直子(すずき なおこ) 氏
お茶の水女子大学大学院人間文化研究科博士後期課程単位取得退学。修士(文学)。専門は中国近現代演劇、現代文学。主な業績に「「堕落」した女性の居場所はどこにあるのか——曹禺と田漢の劇作から——」(『お茶の水女子大学中国文学会報』第40号、お茶の水女子大学中国文学会、2021年4月)などがある。